その名を見ると、懐かしいというか、すこしセンチメンタルな気持ちになります。ジョン・ロールズ、わたしはこの偉大な政治哲学者の正義論を大学院では勉強していました。

昨年、2021年は、ロールズ生誕100年、その主著『正義論』(1971年刊)から50年の節目ということでしょうか、中公新書として齊藤純一・田中将人『ジョン・ロールズ - 社会正義の探究者』が出版されました。そして、先日、読み終わりました。

思えば、大学院に進学が決まり、当時出入りしていた西洋政治思想史の先生からアメリカにジョン・ロールズという政治哲学者がいる、この理論を下敷きに憲法を考えてみたらどうか(大意)とアドバイスをいただいたのが切っ掛けです。

その後、まずは原典にあたれ、ということで、田中成明編著で木鐸社から出版されていた『公正としての正義』を購入し、そこに収録されている論文の原典を手に入れて読みました。

そして、いまでもロールズの主著といえるであろう A Theory of Justice を手に入れ、紀伊國屋書店から出ていた矢島鈞次の監訳本(わたしの世代はこれ、ひじょ~~に日本語が難解)を手許に置き、来る日も来る日も英文読みをしました。ただ、矢島監訳本は実は A Theory of Justice の Revised 版の訳本。この Edition が出版されたのは1999年のことなので、翻訳本はあるのに原典はない、という状態での勉強でした。

そのあと、残された時間と能力で Political Liberalism(1993)を読んで、可能な限りで修士論文を書きました。そして、意気揚々と博士課程に進学したのですが、わかる人にはわかると思いますが、わたしの博士課程での指導教員はハイエキアン。よくわたしをとってくれたものだと思います。そこで思想を中和していただいたのも、いまのわたしにとっては大きな収穫でした。

博士課程では、コミュニタリアンによる批判も勉強して、何とか学位を得ることができ、その後、はじめての単著『ロールズの憲法哲学』(有信堂)をなんとか30歳で刊行することができました。ロールズ研究者の中でさえもう読まれることのない拙著ですが、格差原理は格差を縮小させるための原理ではなく格差を正当化する原理、したがって「最も恵まれない人」の効用が向上するなら格差が拡大する場合もある、ということを明確に書いている点など、隠れた名著(自称)ではないかと思っております。

ただ、ロールズに関してはこの後、2本ほど論文を書かせてもらったくらいで、研究はフェイドアウトしてしまっています。1本は実質的な初めての赴任校の紀要にロールズの市民的不服従論について、もう1本は井上達夫先生にお誘いいただいて岩波書店が日本国憲法60年を記念した刊行した岩波講座『憲法1 - 立憲主義の哲学的問題地平』に「政治的リベラリズムにおける『立憲的精髄』は『暫定協定』を超えうるか」というテーマで書かせていただいたものです。でも、その後は・・・ということで「ジョン・ロールズ」という名前は、わたしにとってはいまでは、センチメンタルな気分になる名前なのでしょう。

それでも、リベラリズム、デモクラシーという価値を信奉する国家の憲法とはいかなるものであるべきかという規範について、ロールズの正義論は多くを語っていると(わたしは)思います。具体的には「正義の二原理」やそれを導き出す「原初状態」と「重なり合う合意」という装置は、いまでもどのような憲法がリベラル・デモクラシー国の憲法として正当なものであるのかを実体として語りきった唯一の法理論であるように思います。

研究者は、最後は、はじめてのテーマに戻るといわれるようです。わたしは、まだ「最後」というには早いのかもしれませんが、齊藤・田中『ジョン・ロールズ』(中公新書)を読み終えて、この20年間で少しは学者として成長した自分の思考を頼りに、もう1度、ジョン・ロールズに立ち向かってみたい気分になりました。