新聞等での過去のコメントを紹介する第10弾は、2014年の集団的自衛権容認の閣議を受け安保関連法案に世論が揺れていた、2015年6月23日の熊本日日新聞でのインタビュー記事です。

安保 わたしは考える くまもと

集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案に世論が揺れている。政府・与党は今国会の会期を大幅に延長して法案成立を目指すが、与野党の議論はかみ合わない。国民に疑問や不安も大きい。県内を中心とした各界の人たちに、安保法制への考えを聞く。

 政府は「安保法制で位置付ける集団的自衛権は限定的で憲法に違反しない」と主張している。しかし、憲法9条1項は武力行使を放棄しており、限定的かどうかにかかわらず、集団的自衛権の行使は明白な憲法違反だ。

 個別的自衛権は、刑法が正当防衛を認めているように、国家である以上奪うことができない固有の権利であり、最低限の実力行使が許されているだけだ。

 政府や自民党が合憲論の根拠とする砂川事件の最高裁判決は、駐留米軍の合憲性が問われ、その判断のみを示した。最高裁は問われていないことに回答しない。砂川判決で集団的自衛権は一切関係なく、合憲論の根拠には到底なり得ない。

 憲法も法律も、現実の情勢に合わせ解釈、適用されてきた。9条も、自衛隊の創設やPKO派遣などその時々で現実に合わせてきた。ただ、その解釈も限界にきているし、集団的自衛権の行使となると限界を超えている。

 安保法制を合憲と主張する憲法学者の多くは政治的な視点が入っている。憲法学者は政治家ではない。条文にこだわって解釈すべきだ。日本が国際社会で果たすべき役割、応分の負担があるという指摘があるが、そうであれば、まずは憲法を改正すべきだ。

 「憲法の文言にこだわりすぎては現実の脅威に対応できない」といった批判もあるが、法の支配は憲法にこだわってこそ機能する。憲法は、国会や内閣の行為を縛るものだ。簡単に変えられないことに意味があり、だからこそ、権力への歯止めとして働いている。

 政治のリーダーが憲法を粗末に扱っている印象だが、内閣は憲法の枠内でしか統治できない。統治の正統性そのものを失いかねず、国の在り方として大きな問題だ。憲法という歯止めを簡単に飛び越えてしまうのであれば、それは独裁でしかない。(聞き手 福井一基)

熊本日日新聞2015年6月23日