令和5年度(2023年度)の卒業式は雨の卒業式となりました。

県立劇場での大学の卒業式のあと、法学部はA1教室で、卒部式を挙行しました。コロナあけはじめて、学位記を学生1人1人に手渡ししました。

法学部長式辞

 本年度、熊本大学法学部からは、早期卒業者1名を含めて、186名の学生が卒業することになりました。みなさん、ご卒業おめでとうございます。熊本大学法学部で所定の学業を修められたことに、まずは敬意を表します。

 ところで、ここにいる多くの人が入学されたのは令和2年度(西暦でいうと2020年度)です。その年の1月頃から「新型コロナウィルス(COVID-19)」の流行がわが国でもはじまりました。卒業にあたりちょっとその頃のことを思い出してみてください。大学受験をようやく終え、いざ、熊本大学と思っていた矢先、いきなり授業はオンラインで実施するといわれましたよね。みなさんは、高校では普通の授業(コロナが生んだ言葉だと思いますが、いわゆる対面授業)だったのに、卒業して、大学で突然のオンライン授業ということで、大きな不安を抱えての入学だったと思います。かく言うわたしも、みなさんとのオンラインでのやり取りに慣れていたわけではありませんが、みなさんの不安を少しでも和らげようとSNS等を利用して履修登録や授業内容について情報を提供していたことを思い出します。

 新型コロナの影響を受け、遠隔授業・オンライン授業で始まったこの年には、緊急事態宣言が発出され各種のイベントが延期・中止されたかと思えば、その後、いわゆるGo To キャンペーンが実施されるなど、国民生活が翻弄された1年でした。国内では通算在職日数および連続在職日数ともに歴代最長であった安部晋三内閣の後をうけ、コロナ対応を使命とした菅義偉(すが・よしひで)内閣が7月に発足したこの年度に、アメリカではドナルド・トランプ前大統領を破ったジョセフ・バイデン氏が第46代大統領に就任しています。その4年後にあたる本年・2024年の11月には再びアメリカ大統領選挙があります。この両者が再び戦うことになるのでしょうか。

 みなさんの多くが2年生になった令和3年度(2021年度)には、コロナ禍が晴れぬ中、1年延期されていた「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」が開催されています。また、年があけて2022年の2月には「北京2022冬季オリンピック・パラリンピック競技大会」も開催されました。同じ年度に夏と冬の両方のオリパラ大会を開催することになった2021年度は、まさにスポーツ一色の年度となりました。世界中のアスリートの活躍が感動をもたらしてくれました。

 ところが、こうした平和の祭典の余韻の中で、ロシアのウクライナ侵攻ははじまりました。この出来事をみて、みなさんは何を思い、どう感じましたか。すべての個人は、独自の思想・信条をもち、それを表現する自由が保障されています。また、性別・出自などに関わりなく平等に配慮され、平和のうちに生活する権利があります。これは法による統治(法治)によってもたらされる基本的価値です。ただ、この法を適用するのは、また、法を運用するのは、まぎれもなく人間です。それは、民主制を標榜する国においては、選挙で選出された代表者ということになるでしょう。つまり、人権保障・平和の維持といった基本的価値は、代表者による法の適用・法の運用によってもたらされるものなのです。代表者を誰にするか、また、代表者の権力が濫用されないようにしておくにはどうすればよいか。ロシアによるウクライナ侵攻はこのことの重要性を再確認させる出来事でした。なお、先日、ロシアではウラジミール・プーチン氏が再び大統領になっています。プーチン氏はボリス・エリツィン氏のあとをうけて2000年から2008年まで8年間大統領を務め、2008年から2012年までの4年間は首相に退いたあと、また2012年からは再びロシア大統領を務めてます。この間のロシア憲法の改正を受けて、2036年まで大統領職にとどまる可能性もあるとのことです。あのスターリン政権ですら24年間(1929年~1953年)のようなので、いまのロシアの状況は推して知れるといえるでしょう。

 また、東京オリパラ大会が終了した令和3年(2021年)の10月4日に菅総理を継いで、岸田文雄さんが第100代の内閣総理大臣に就任されています。

 そして、みなさんの多くが3年生になった、令和4年度(2022年度)もさまざまな出来事がありました。わたしはスポーツが好きですから、サッカーワールドカップで日本がドイツとスペインを破ったことや、熊本出身の村上宗隆さんが最年少での三冠王に輝いたり、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、侍ジャパンが見事、優勝を果たしたことは、まだ記憶に新しいところです。そのWBCでも中心メンバーだった大谷翔平さん、山本由伸さん、ダルビッシュ有さん、松井由樹さんは、先日のメジャーリーグの開幕戦でも活躍されていましたね。

 さらに、この年・令和4年(2022年)9月、安倍晋三元内閣総理大臣が参院選の選挙運動中に銃撃され命を落としたことにもふれておきます。安部元首相が集団的自衛権を容認するといったわが国の安全保障政策を大きく転換させたことは、いずれ歴史の評価が下されることになると思います。

 そして、本年・令和5年度(2023年度)は、大学入学時からみなさんを苦しめた新型コロナウィルスの感染症法上の分類が季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げられたことをかわきりに、ようやく大学生らしい生活が実現したと思います。勉強もそうですが、サークルにアルバイトに、また、仲間との旅行など、いろいろ楽しめたでしょうか。まだ遊び足りないのではないでしょうか。もう卒業なんで惜しいですよね。卒業、やめておく?(笑)。ただ、どうやら浮かれてばかりはいられないようです。次から次に明るみに出る政治家の汚職や疑惑、消費者の信頼を裏切るような企業の不正、一般の生活者には実感がないなかで過去最高値をつけた日経平均株価、また、わたしが生まれた頃には200万人程度いた新生児も2023年には75万人に低下し、本年2024年中には人口の半数以上が50歳以上になるようです。みなさんのこれからの生活を取り巻く環境は、実に不安定な状況にあるようです。くわえて、本年1月1日には「令和6年能登半島地震」が発生しました。「平成28年熊本地震」を経験した本学にとって、他人事とは思えない切ない年明けをなりました。

 さて、すこし時間をかけてこの4年間を振り返ってみましたが、この時間の間、みなさんは、みなさんのこの4年間を振り返ることができたでしょうか。

 最後に、本年1月、九段理江(くだん・りえ)さんの「東京都同情塔」という小説に第170回芥川賞が贈られました。これは犯罪者を「ホモ・ミゼラビリス」(同情されるべき人という意味だと思いますが、こう)呼び、彼らが生活するための塔(これが小説の題名となっている東京同情塔のことで、作中ではシンパシー・タワー・トウキョウと呼ばれています)、この塔を設計した主人公が生成AIが普及する現在や未来において言葉というものについて思考を巡らす、という内容です。犯罪者を「ホモ・ミゼラリビス」としたのは作中ではマサキ・セトという架空だと思いますが社会学者とされていて、それは「従来『犯罪者』と呼ばれて差別を受けてきた属性の人、また刑事施設で服役中の受刑者、非行少年を指して、その出自や境遇やパーソナリティについて『不憫』、『あわれ』、『かわいそう』といった同情的な視点を示し、彼らを『同情されるべき人々』、つまり『ホモ・ミゼラビリス』として再定義し〔た〕」とあります。作中の出版物において犯罪者をこう呼んだことには、その出版物を読んだであろう作中の読者から「なぜ、本来なら罰を与えるべき人々に対し、『同情』を与えるべきなのか?」「『犯罪者』への同情は、被害者の感情を蔑ろ(ないがしろ)にしてしまうのではないか?」といった批判が寄せられます。この批判に作者はさきほどの社会学者の口を借りて、次のようにいいます。「私やあなたがこれまで『犯罪者』にならずに済んでいるのは、私やあなたが素晴らしい人格を持って生まれてきたからではありません。あなたの生まれた場所がたまたま、素晴らしい人格を育むことが可能な環境だったからです。犯罪と関わりを持たずとも幸福な人生を歩むことができると、信じさせてくれる大人が周囲にいたからです。あなたが良いことをしたり、学校で良い成績をとったりするのを、大人たちが褒め、推奨してくれたからです。・・・あなたがこれまで罪を犯さず、クリーンに生きてこられたのは、あなたの幸福な特権のおかげに他なりません。(原文改行)しかし、あなたはご存じないかもしれませんが、世の中には特権を持たずに生まれてくる人がたくさんいます。良いことをしても誰からも褒められず、むしろ、生まれてきたことを否定されながら大人になる人々がいるのです。・・・(原文改行)そんな彼らとあなたが、同じ世界の、同じ法律/ルールのもとで、同じHomo(人間)として生きていかなければならないというのは、あまりにもアンフェアで、残酷な仕打ちではないでしょうか?」

 きょう熊本大学法学部を卒業するみなさん、みなさんは、おそらく多くの人の庇護の下でこの日を迎え、4月になればそれぞれの持ち場に就くことでしょう。みなさんが努力して得たきょうの成果は、そのことを奨励し許してもらえる環境にあったことから得られた特権である、とはいえないでしょうか。世の中には「幸せ」というのがどのような状態のことを言うのかわからない人がいるともされています。きょうの卒業を、是非、そういった社会状況を考えてみる機会とされることを期待して、わたしの式辞としたいと思います。

  令和6年3月25日

  熊本大学法学部長・大日方信春