過去のコメント等を紹介する企画の第4弾は、熊本日日新聞2013年5月2日の「核心評論」に掲載されたコメントです。

見出しに「加速する改憲の動き」とあります。当時の安倍政権が憲法改正の手始めに、改憲手続を定めた96条の発議「3分の2」要件を「2分の1」に緩和するのはどうか、と言い出していた頃のコメントということになります。

熊本日日新聞 2013年5月2日

わたしのコメント

憲法改正の発議要件を総議員の「3分の2」から「2分の1」に緩和するのはどうか、という質問について

「憲法は本来、統治の仕組みを定めたもの。改正のハードルと下げれば、その仕組みが変わりやすくなる。人権を保障しているのも、それが揺らぐと暮らしも大きな影響を受ける」と警戒感を示したようです。

単文のコメントだけで見解を伝えるのはなかなか難しいですね。わたしは、常々授業では、憲法の目的は統治を安定させることである、とお話ししています。それは、

① 統治体制として民主制がいいのか君主制がいいのかについては普遍的結論はないこと。

② 憲法上の権利として何がどの程度保障されるべきなのかについても歴史や文化の流れの中で相対的であること。

③ ただ、為政者の恣意的な(というのは憲法の手続に基づかないという意味ですが)権力行使は統治に不安定をもたらすこと。

④ 民衆の日常的利害関心が統治に影響することも統治に不安定をもたらすこと。

⑤ 憲法上の権利の保障も煎じ詰めれば安定した統治の下でもたらされること。

これらを理由に、憲法は何かしらの実体的価値の実現を目指すものではなく、現憲法体制の下における統治の安定を目指していると考えているからです。もちろん、持論です。学生は「いやいや人権保障が第一の目的である」とか「民主主義の実現である」という意見をよくもらいます。わたしからすると、この学生の見解は「日本国憲法の目的」と「憲法一般の目的」を混同していると思うのですが。日本国憲法の目的は、民主主義の定着(国民代表機関〔政治の主体〕を非代表機関〔行政の主体〕の上に置く)であったり、社会国家の実現(憲法25条に基づく政策により22条・29条上の権利の制約を正当化する)であったりするのかもしれません。それでも、こういう学生といろいろやり取りするところに大学で教える醍醐味があるのでしょうね。

ということで、仮に「2分の1」で改正発議できるようになると、それは民衆の目先の利益を巧みに利用する政権党が、民衆からの支持を理由に憲法改正を実現しようとするかもしれないことと同時に、政権交代のたびにこれがくり返される危険を防止できない、と考えてのコメントです。ようは統治に不安定をもたらすであろうと。それは憲法がもっとも警戒していることだと思っています。

このコメントも5月2日の新聞に掲載されています。5月上旬は憲法学者にとって「書き入れ時」でしょうね。