新聞等への過去のコメント第9弾は、熊本日日新聞2015年1月20日のインタビュー記事を紹介します。
ムハンマドの風刺画を描いたフランス週刊紙への銃撃事件を受けて、表現の自由の大切さについてお話しさせていただきました。
仏週刊紙銃撃 問われる「表現の自由」
イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いたフランス週刊紙への銃撃事件は、言論機関へのテロ行為として厳しく非難されると同時に、表現の自由をめぐる世界的な論議を呼んでいる。日本でも特定民族への憎悪をあおる「ヘイトスピーチ」が問題化した。熊本大の大日方[おびなた]信春教授(憲法学)に、表現の自由の在り方について聞いた。(福井一基)
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-今回の事件をどう受け止めますか。
「偶像崇拝を禁じるイスラム教徒からすれば冒涜[ぼうとく]に当たるかもしれないが、一般論として表現の自由は規制されるべきではない。ただ無制約というわけではなく、名誉毀損[きそん]やプライバシーの侵害は許されない。暴力でなく言論空間でその是非を議論すべきだった」
-フランスではテロを擁護する言動の取り締まりを強化する動きが出ています。
「矛盾だ。具体的な危険がないにもかかわらず規制すれば、まさに表現の自由を侵すことになる。例えば『国家を転覆しよう』という発言はある種の政府批判であり、許されるべきだ。犯罪行為に及ぶ表現とは区別しなければならない」
-そもそも、なぜ表現の自由が大事なのですか。
「憲法はもともと国家権力から国民の権利を守るためのもの。学問や宗教もそうだが、中でも政治的な表現は統治に不都合だとして、統治者が抑圧してきた歴史がある。だからこそ憲法で、特に保護する必要がある」
「ヘイトスピーチにしても国による規制は基本的に望ましくない。私たち自身が議論し、批判や称賛をすればいい。写真週刊誌だってスキャンダル報道が過ぎれば市場から見放され、廃刊に追い込まれる。これまでも市民のバランス感覚は働いてきたということだ。規制するかどうかを政府に委ねていては、自由は守れない」
-風刺画の転載をめぐり、メディアの判断が分かれました。
「対応が分かれるのも、ある種の自由だろう。ただ、全てのメディアが見送ったとしたら、それは正常な言論空間とは言えない。風刺画がどんなものであるか市民に伝え、考える材料を提供すべきであって、それが次の言論を生む素地となる。メディアの重要な役割だ」