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 国家(State)の語源は、ラテン語のstatus (状態)とされています。15~16世紀のイタリアの政治思想家マキャベリが「現在の支配体制」を意味する言葉として転用しました。国家は国家構成員(市民)が政治的に統合したものと考えられていますが、市民とはいったい誰を指すのでしょうか。

 1776年の米独立宣言は、造物主により「すべての人は平等に造られ」ていると唱え、89年の仏人権宣言にも同様の規定があります。ただ、ここで言う「すべての人」は、文字通りの意味ではありません。
 米憲法は19世紀半ばに修正されるまで「自由人」と「その他の者」を区別していました。女性が市民権を得たのは20世紀に入ってからです。近代国家の歴史は、主権の担い手である市民(citizen) の範囲を広げる歴史でもあったのです。その指標は当初の「教養と財産、性別」から、現在の「国籍と年齢」へと変わってきました。
 日本国憲法は前文で国民主権を掲げ、10条で国民の要件を法律で定めるとしています。わが国の国籍法は、父母のどちらかが日本人であることを求める血統主義を原則とし、移民の国である米国が出生地主義で国籍を付与しているのとは対照的です。
 では、今回のテーマである在留外国人の権利は、どこまで保障されるのでしょう。マクリーン事件で最高裁は「権利の性質に応じて保障される」と判示しましたが、憲法が国民のみを対象にした権利は除外しました。
 このことから、国民主権から派生し、最も主権の行使に近い選挙権は、たとえ地方選挙であっても日本国籍のない人には認められないと言えそうです。政治資金規正法が、外国人からの政治献金を禁じているのも一例ではないでしょうか。
 国民主権とは「国の統治の在り方を最終的に決めるのは国民」という考え方です。日本国憲法前文も、国家の権力行使に正当性を与える究極の権威は、国民に由来するとしています。統治の担い手は国籍という形式的な指標を持つ者ー。その法原理は、近代以降の主権国家や国境という枠組みがある限り変わらないでしょう。