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 17~18世紀に成立した「憲法に基づく統治」は絶対王政への抵抗が契機で、何より市民の自由を国家権力から守るものでした。特に経済的な自由は、産業革命を経て19世紀に資本主義の誕生という社会構造の変革をもたらします。市民は政府の規制から解放された社会で、自律的な生活を営んできました。

 この時代の憲法に経済的平等や社会権の規定はありません。代表例が米国。最高裁が1905年、パンエ場の勤務時間の上限を定めた州法は労働契約の自由への違法な介入と判断しました。「公共の福祉を実現する必要最小限度の権限は国家に委ねられる」という法理論は当時もありましたが、その根拠が米憲法になかったのです。
 20世紀に入ると、近代憲法に基づく統治は「自由経済下の失業や不意の疾病などによる貧困に無力ではないか」と弊害が指摘されるようになります。社会主義革命などの影響もあり、各国の現代憲法に個人の経済的自由を制約してでも一定の平等を実現したり、経済格差の平準化を政府に求めたりする規定が組み込まれました。
 1945年制定の日本国憲法にも、経済的自由を保障した22、29条と、経済格差の是正を求めた25、27条が併存しています。ゼミで討論したタクシー事業でみると、政府は規制緩和路線から、規制強化で業界の安定的発展や運転手の生活を保護する政策に転換しましたが、いずれにも憲法に根拠があるのです。ただ、経済の領域で自由と平等のどちらを優先すべきかは憲法に規定されていません。憲法は、その判断を主権者である私たちに委ねているのではないでしょうか。
 過去の国政選挙では幾度となく、経済政策が大きな争点になりました。郊外大型店に象徴される規制緩和と地元商店街の保護、消費税の引き上げや社会保障制度の見直し…。憲法が保障した経済的な自由と平等のバランスをどう取るか、私たちはその都度1票を投じて選択していると言えそうです。