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 今回のゼミは、衆院の解散権を取り上げました。憲法上の解釈はさまざまな見解がありますね。
 未曽有の惨禍をもたらした太平洋戦争の反省から、日本国憲法は天皇権限を引き継いだ内閣を警戒する構造になっています。73条で内閣の権限を列挙しているのは、政府の暴走を二度と許さないという意思の表れでしょう。その上で、国民(主権者)の代表で組織された国会が、民主的な選挙を経ていない国家機関(政府=内閣)を統制する仕組みを目指したのです。

 これを衆院解散に当てはめれば、内閣不信任案などを可決した場合だけとする「69条限定説」は、「主導権はあくまで国会にある」という考え方に立脚しています。一方、権力分立を重視する学説は国会と内閣に対等な関係を求め、内閣不信任決議への対抗手段として内閣に解散権を認めています。戦後の憲法学は前者が通説ですが、実際は後者に基づいた運用が一般的なようです。
 それでも、立憲主義の法思想に立てば、全ての国家権力は憲法で統制されなければなりません。解散権は首相のフリーハンドな権限ではなく、「制度説」で紹介したように、重要法案や予算の否決など国会と内閣に統治方針の不一致が起きた場合だけに行使できる権限と考えるべきでしょう。GHQの思想を受け継いだ面はありますが、日本国憲法は民主主義の貫徹を目指しているのです。
 ところで、69条以外での衆院解散の合憲性が争われた著名な最高裁判決に「苫米地訴訟」(1960年)があリます。大法廷は衆院解散を「高度に政治性のある国家行為」と位置付け、たとえ法令解釈で解決できる場合でも司法審査の対象外(統治行為論) として、その是非は「最終的に国民の政治判断に委ねられている」と判示しました。
 国政の改憲論議では、野党から首相の解散権を制限するよう求める声も出ていますが、皆さんは歴代内閣の衆院解散をどう評価していますか?制度説のような「大義」はあるか、単に政権浮揚の「道具」に使われていないか―。その在り方を判断するのは、国民の側なのです。